鶯澤山花林院
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 花林院二十四世重興梅岳英彦大和尚ご遷化 
 平成23年9月4日、鶯澤山花林院二十四世、重興梅岳英彦大和尚様がご遷化されました。(享年72歳)
 大和尚様は昭和47年鶯澤山花林院住職に就任され、平成23年2月までの39年間にわたり奉職。
 この間、本堂の増築工事・庫裡新築工事等々を進められ、また、社会福祉関係、地域の振興そして宗門の護持にご尽力されました。
 心残りは開基400年記念事業の推進半ば、平成26年4月予定の記念法要の営弁を見ずして悼まれるご遷化。
 平成23年10月22日、午前9時から本寺院に於いて、大和尚様の御遷化を悲しみ涙雨の中大勢の会葬者列席のもと、しめやかに本葬儀が執り行われました。
 ご遺徳を偲び慎んで哀悼の意を表します。
花林院通信 第161号(追悼特集号)より
 「無一物 平成23年11月10日 花林院通信第161号「炉端のつぶやき」より
 私たちは生まれるときも死ぬときも何一つ身につけることができません。
 人は、成長するに随って自我が芽生えいろいろ様ざまな知識を貯えて、生きていくことが出来ます。
 無我夢中で子供を育て、孫を育み我が身が老いていくことを忘れて、月日や時の流れの速いことに驚かされることがたびたびあります。
 社会人ともなれば、社会人間として生きることも必要になります。愛情の社会が家庭であるならば、理性の社会が会社とも言われます。家庭でお悩み事は、一寸置いて気持ちを切り替えて仕事に向かうことが必要ですし、逆に会社でのいやな事は、一寸忘れて家にかえるのです。

 二つの社会を結びつけているのが給料なのでしょう。その退職後は、子供も社会人として生き独立し、夫婦での顔の突合せが多くなり、お互いの生活時間が重なり、ゴロゴロしている男性は『粗大ゴミ』などとも呼ばれるそうです。
 退職が出来ないのが我が人生で、目的を持って生き抜くことも必要ですが、思惑通りとはまいりません。

 横尾忠則(画家)さんが、修行のマネゴトをしてみて学んだことがあります。「自分の経験や知識技術などと言うものは一切無くして、ただひたすらに与えられたことを懸命にやることが修行なのかと、目的を打ち消して行動することを理解した」と話されています。
 何かともすると、目的を持たない暮らしと言うものを想像すると、不安が付きまとうのですが、ここで「ただひたすら」が生きてくるのです。
 因縁がそのまま結果に結びつくのではなく「自然と結果として残る」のです。

 釈迦牟尼佛自身「あの世」を否定されており、命ある今を大切に過ごしなさいと教えられています。あの世ばかりを空想して、この世の尊さを見失うととんでもないマチガイを犯すことになります。
 宮沢賢治は「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」と言っておりますが、ただひたすらに努めるという事、ここが大切なのです。
 そこには自分さえも存在していないからです。えりごのみをしない又は出来ない自分が見えて来ます。

 「感謝報恩の日々あたりまえを、あたりまえに生きる 平成23年1月1日 花林院通信第157号より
 あけましておめでとうございます。
お釈迦様は、
  人の生をうくるはかたく
  やがて死すべきものの
  いま生命あるはありがたき
とお示しでございます。今年も無事に新しい歳を重ねさせていただきました。誠に有り難いことであります。
 私どもの生命には限りがあり、誰もが寿命を迎える時がやってまいります。その日は、明日であるか、一月後であるか、あるいは一年後であるか、誰にもわかりません。
 一昨日の10月下旬、チョットした病を患い、一週間ほど寝込んでしまいました。その時、布団の中で失ってしまった10sの体重は、一年たっても戻ってきませんでした。
 それ以来、体力が衰え、階段の昇降もままならず、法要行持の読経も息絶え絶えの日々が続いております。
 そんな状況ではありますが、毎月15日の月命日朝課修業は、この一年間欠かすことなく勤め上げ、篤信檀信徒のみなさまと共に、読経三昧の時を過ごしてまいりました。誠にありがたいことであります。
 いったん失われた体重が元に復することはもうないでしょう。しかし、最近では、失われた体重に変わって、生命の重さがヒシヒシと感じられるようになってまいりました。これが歳を重ねるということなのでしょうか。
 70代の人が2〜3人集まると、時の政府の政策に関する不満が、偶には話題になることもありますが、たいがいはお互いの健康状態に関する話題が中心になりがちであります。
 関節が痛い、視力が衰えた、息切れがする、ワイシャツのボタンがうまくはまらない等々、人によって加齢の悩みはさまざまであります。
 高齢者の中には、家族にはまだ知られたくない体力の衰え、家族には話しづらい加齢の悩み、高齢者になってはじめて分かるさまざまな悩みを抱えている方が大勢いらっしゃいます。
 そうした悩みを気軽に話せるのは、やはり同世代の仲間であります。住職も70歳を過ぎまして、加齢の悩みが理解できる年齢となりました。
 そこで昨秋11月、「国民健康保険高齢受給者証」を交付されてのを機に、社会福祉法人奥州市社会福祉協議会常務理事の職を退任して花林院に退休、住職に専念することにいたしました。
 住職が寺に常住しているからといって、何がどうなるということでもありません。当たり前のことが当たり前になったというだけのことであります。
 この当たり前、いつまで続くか分かりませんが、檀信徒みなさんの話し相手をしながら、感謝報恩の日々を重ねてまいりたいと願っております。
鶯澤山花林院24世 梅岳 英彦

 「猛暑」・「所在不明」・「育児放棄」 平成22年9月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
◆秋立つとはいえ名ばかりで、記録的猛暑日が続いている。地球温暖化防止が叫ばれる中、異常気象とも言われる猛暑。日本の亜熱帯化とも表され熱射病の多発が危惧されている。気温35℃以上の「猛暑日」は、平成19年4月に気象用語として設けられた。体調管理を十分にし、この猛暑日を乗り切りたい。
◆単純なる所在不明か、人間関係のもつれによる失踪か、はたまた神隠しか。全国で100歳以上の超高齢者の所在不明が相次いで明らかにされている。厚労省の調べによるとその数271人とも言われている。江戸時代に生まれた人が除籍されずに戸籍上生存扱いになっている例。戸籍上104歳になる女性は、9年前に病死したが、葬式代を工面できなかったその息子は、母の遺骨をリュックサックに詰め、所在地を点々としていた。白骨化した母は、自分のことはさておき、そうした息子を憐れんでいたかも知れない。「たわむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず」。石川啄木の短歌が思い浮かんだ。超高齢者の所在不明の陰には、年金詐取、生活扶助料不正受給等の事件が見え隠れする。お金にむしばまれた悲しくも憐れなご時世である。
◆育児放棄の悲劇が後を絶たない。与謝野晶子は、「腹立ちて炭まき散らす三つの子を為すに任せて鶯を聴く」と詠んでいる。苦しい生活をやりくりしながら11人の子を育てきった実感が溢れている。部屋は汚れてもいい、ズボラでもいい、食事と健康に気を配り、図太く子育てに勤しむ。今の若い母親には、そうしたど根性が欠けているような気がする。大阪市内のマンションで、3歳と1歳の幼児が遺体で発見された。23歳の母親曰く「育児がいやになった」と供述。近隣住民からの情報に基づく行政の訪問活動も甲斐なく、結果として瀬戸際の幼い命を救うことができなかった。もうすぐ秋彼岸。稼ぐことに追われて忘れかけている「人の心」をじっくり思い起こしてみようではないか。

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 「饅頭に母追想す盂蘭盆会」 平成22年8月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
 懐かしい味がある。亡き母が作ってくれた饅頭の味。いつも八月になると思い出す味である。
 お盆が近くなると、昔の農家では、小麦を粉にして、すいとんや、うどんを作り、食卓を賑わせていたものであった。我が母は、決まって饅頭を作って盆棚に供えていた。あんこのたっぷり入った、重曹が少し効き過ぎて、どこかほろ苦い黄色の饅頭であった。その母も他界して久しい時が流れた。
 八月は、亡くなった人の霊を供養する行事が多い月。施食会、孟蘭盆会、灯籠会と行事がつづく。お釈迦さまは、あらゆるものに対して思いやりをもって接するようにと慈悲の心を説かれた。施食会は、肉親はもとより、有縁無縁の人の幸せを祈る行事。孟蘭盆会は、餓鬼道に落ちて逆さまに吊されるような苦しみに陥っていた釈尊の弟子の母親を救った故事に由来するらしい。
 火は、仏教にとって、霊を迎え、送り、そして供養するための重要なもの。灯籠会は、迎え火を焚いて迎えた霊を彼岸に送る大切な行事。お盆には、盆棚にご先祖さまの霊を迎え、供物をお供えしておもてなしをし、十六日には、ナスの牛に乗せて送り火を焚いてお送りする。
 今では、生活環境の変化から、迎え火や送り火を焚く習慣が家庭から消えつつあるが、灯籠会には、ろうそくの明かりにご先祖さまを乗せてお送りしたいものである。
 今年のお盆には、家内が昔ながらの製法で、小麦粉だけで作った田舎饅頭もお供えしよう。母の味にはほど遠いが、彼岸の母はなんて応えるだろうか。

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 「聞く耳を持つ」 平成22年6月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
 小生が尊敬する企業コーディネーター関洋一さんのコラムの一節に、企業経営の成功要素として『聞く耳を持つ』ことは必須であると説いている。
 『聞く耳』は所謂『素直さ・謙虚さ』と言い換えられるが、これには等級があるという。
 1等級は『バランスよく聞く耳』で、本物の成功者の多くはこのタイプで、包容力に裏打ちされ一旦すべてを受け入れてから自分なりに咀嚼して取り入れる。
 2等級は『聞きすぎる耳』で、平時には問題ないが、他人任せで優柔不断と軽率さが同居する危うさを持つ。
 3等級は『上面だけの聞く耳』である。他人の意見など最初から受け入れる気がなく殊勝を装って聞く振りをするというのが定番である。関わる側にしては一所懸命努力するが結局徒労に終わることになる。
 難しいことだが、誰でも1等級の自分でありたいと思うはずである。

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 「無縁社会〜無縁死・3万2千人」 平成22年3月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
 今年1月の某TV局のスペシャル番組。人と人とのつながり、絆が急速に失われつつある日本の社会。「無縁化社会」に変貌しつつある社会の現実を追いかけたショッキングな番組であった。
 引き取り手もなく、行政によって荼毘に付される遺体。「無縁死」ともいわれる「行旅死亡人」。TV局が1昨年、全国1783自治体の「行旅死亡人」取扱件数を調査した結果、1年間で大凡3万2千人が「無縁死」として取り扱われていることが明らかになった。
 なぜ、こうした現象が起きているのか。「無縁死」として取り扱われた人々が、そこに至るまでの軌跡を辿っていくと、それまで地縁、血縁、職場の縁で保たれてきた人と人との絆を失い、身も心もバラバラになって漂ってきた現代人の孤独な姿が浮かび上がってくる。
 番組では、行政から委託されて「無縁死」の遺体処理や、身辺整理を扱う業者の仕事も紹介していた。
 人間は自分独りでも生きていけないわけではない。しかし、自分の遺体は自分では処理できない。「無縁死」を取り巻く、世の中のさまざまな動きはあるにせよ、現代人がやがて行きつく果てが「無縁死」ということでは、いささか寂しくもある。

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 ゆっくりのんびり 平成22年1月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
 あけましておめでとうございます。
 一元復活萬象更新。新しき年が復活し目に映る物更にまた新たなり。新たに重ねられた歳の平穏無事な一年を期待し、檀信徒各家みなさまの家運隆昌・一家円満を心からご祈念申し上げます。
 さて、住職、本年めでたく70歳、危ういところをくぐり抜けて頂戴いたしました70歳であります。肩の力を抜いて、幸せの行(半分でいい・普通でいい・平等でいい・平凡でいい・ほどほどでいい)をモットーに、スローライフで過ごしてまいりたいと存じます。

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 長寿社会を生きる 平成21年11月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
 先般発表された全国長寿者統計によると、100歳以上の長寿者は、全国で40,399人(前年比4,123人増)、岩手県では500人(前年比213人増)、奥州市では57人(前年比13人増)となっている。ちなみに、羽田町の長寿者数は、100歳以上3人、90〜99歳61人、80〜89歳227人となっている。
 統計によると、岩手県及び奥州市の長寿者増加率は、全国の増加率をはるかに上回っており、長寿社会の進展が極めて急速であることが示されている。
 日本人の平均寿命が延び始めたのは、戦争放棄を宣言した昭和廿年代後半からのことである。その結果、平和がもたらしてくれた未知の長寿社会を、死ぬまで生き続けることになった。私たちの命は、御仏から授けられた命である。寿命は即ち授命である。死ぬるときがくるまでは、この命しっかり護っていこう。

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 施 食 会 平成21年8月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
 我が家には、3匹の猫と、一匹の金魚・三匹のザッコと、雀の一族が同居している。
 この同居家族、朝七時半頃になると、人並みに朝食を要求して、デモンストレーションを行うからおもしろい。中でも派手なのは、雀の一族である。
 朝、六時半頃になると、まず偵察役が飛来し、周辺を観察、ちやぶ台の陰に天敵の猫が潜んでいないかを確かめる。
 次いで七時過ぎには、ちやぶ台に、食事が用意されたかどうかを確かめに来る。七時を過ぎても食事の用意ができていない時は、大変である。
 数羽が飛来して、ベランダの手すりで踊り出す。尾羽を垂直に立て、手すりの上を飛び回る。数メートル離れたところを横断している電線と、ベランダの手すりを往復して、食事の用意をせがんでくる。
 ちやぶ台の上に食事の用意をすると、一羽二羽と飛んできて、食事をする。
 時には、親子で飛来し食事をするときがある。子雀は動かず、親雀がちやぶ台からエサを採り、口移しで子雀に与える。
 施食会は三界萬霊に食を施して精霊を供養する行持。我が家の施食は、生類に食を施し、我が家族の心を癒す回向の行事である。

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 ホームステイ 平成21年6月 花林院通信「炉端のつぶやき」より
 4月20日から3泊4日の日程で、国際ロータリー第1710地区フランス・リヨンから来日した30代男性1人のホームステイを引き受けた。
 この男性は、リヨン郊外にある製薬会社に勤めている技師で、家族は、妻と子供5人、それに近所に住まいしている双方の両親、合わせて11人ということであった。
 今回の来日目的は日本の地方企業の研修ということで、各地に滞在しながら、その土地の有名企業で短期研修を積み重ねているということであった。
 当院ホームステイの主目的は、曹洞宗寺院における朝課研修ということで、滞在期間中は、朝6時から凡そ1時間の朝課を一緒に勤めることになった。
 足が痺れるだろうからと、気を利かして椅子を用意したが、椅子は使用せず、畳の上に直に着座、朝課研修に励んでいた。
 座り方がどうとか、作法がどうとかの理屈はともかくとして、曹洞宗寺院にホームステイしたのだから、朝のお勤めを一緒に修行するのは当たり前という真摯な態度には、心から感服した。
 ホームステイ先の家風・門風に敬意を払い、そこから新たな文化を積極的に吸収しようとする謙虚な心、さすが大国フランス人、その国民性を垣間見た感じがした。

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生き急ぐな死に急ぐな 花林院二四世 梅岳 英彦
 仏教では、人間を死すべき存在、死を終わりとし死を超えない存在としてとらえている。
 そして、人間の「死」とは、身体から寿(生命)と煖(体温)と識(精神作用)の三つが離れることであると説いている。
 その上で、人間の生とは、人問の機官が成立しており、感官が生じている状態であると説き、生は寿命(生命)によって持続し、寿は煖と識によって維持されていると説いている。
 即ち、仏教における人間の生命は、すべからく視覚的・聴覚的・触覚的にとらえられているのである。
 医学においても、これまでは、人間の「死」を、呼吸停止・心拍停止・瞳孔散大を基準とする三徴候説によって判定してきた。
 即ち、これまでは、仏教においても、医学においても、人間の生命は、すべからく視覚的・聴覚的・触覚的にとらえられてきたのである。
 ところが、医学、医療科学、遺伝子工学等が急速に進歩した1970年代以降では、人間の生命はすべからく顕微鏡と医療機器によって判定され、あるいは確認される時代に入り、その結果、人間の生命の意味が大きく揺らぎ始めてきたのである。
 これまでは、母親の胎内から出生し、呼吸・心拍・瞳孔等の感官が正常に機能している間を「生」とし、それらの機能が停止し、煖(体温)と識(精神作用)が身体から離れた状態を「死」とし、生から死に至るまで人間の身体を維持し持続している機能が寿命(生命)であるとされてきた。
 しかし、こうした生命に対する従前の考え方は、人工授精という言葉に代表されるように顕微鏡の中でのみ確認可能な受精卵をもって人間の生命の誕生と捉え、臓器移植技術等の進歩に伴って一般化されてきた医療機器によって判定される脳死をもって人間の死と認定する考え方に変わってきたのである。
 云ってみれば、医学の進歩、医療科学の発達によって、人間の生死が顕微鏡と医療機器によって判定される時代になり、結果として、人間の生命の誕生が早まり、人間の死が早められることになったのである。言い方を変えれば、医学の進歩、医療科学の発達が、人間の生き急ぎ、死に急ぎの時代をもたらしているのである。
 今日、人間の生命を軽んずる、人間の生命を粗末にするさまざまな社会的現象が発生しているが、生き急ぎ、死に急ぎの時代風潮が、一つの大きな原因になっているような気がしてならない。
 寿命を全うするということは、自然の営みによって生を受け、自然に生き、自然に死ぬるということである。
 雨の降る日は雨に濡れ、風の吹く日は風に揺れ、自然に生きて自然に死ぬる、そんな人生を私は送りたい。
 現代では、自然に生き自然に死ぬるということは、極めて難しいことかも知れない。だが、きみ生き急ぐなかれ、きみ死に急ぐなかれ。御仏の導くままにその日まで、ゆっくり自然に、ゆったり生きてゆきたいものである。


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 天上に三陽の日あり屋上に五福の星あり 花林院廿四世 梅岳 英彦  平成21年1月
 あけましておめでとうございます。天上に新春の日を仰ぎ屋上に五福(長寿・富裕・無病息災・信仰大事、天命全う)の星を頂き、期待に満ちた新しい年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。
 お正月とは、実に不思議なものであります。普段見慣れているはずの門口も、福の神が訪れるともなれば、それなりに風情のある門口に見えてまいります。普段は、どうということもないトタン屋根も、五福の星をその上空に頂くとなれば、まさしく御殿の屋根の如くに見えてまいります。
 気は持ちようと申しますが、新年ともなれば、あれもこれも、ありとあらゆるものがいっそう新しくみえてまいりますから、不思議なものであります。
 さて平成21年、西暦2009年、当山開基395年目、鶯澤山史の大きな節目であります開基400年まであと5年の春を迎えることになりました。
 開基400年につきましては、かねてより役員会等で話題にされてきたところでありますが、そろそろ、その基本的構想に着手すべき時期が近づいてきたようであります。
 「なにをどうするか、どのようにとりくむか」の構想は白紙の状態でありますが、今年1年をかけまして、責任役員・干与者・総代・世話人、そして護持会理事役員みなさまと協議を重ねながら、構想してまいります。
 現下の社会情勢は厳しく、昔の経済不況時代の苦労が多く語られております。しかしながら、そこから立ち上がってきたときのお話に接することは滅多にありません。
 倒れた時の経験も貴重であります。しかし、人生において本当に大事なのは、そこで立ち上がったときの経験であります。立ち上がったときの経験成功の経験を大事にしながら、前向きの人生を歩む1年でありたいものと念じております。

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 岩手・宮城内陸地震 平成20年8月
 6月14日午前8時43分、北緯39度01.7分、東経40度52.8分、岩手・宮城内陸部深さ8Kを震源とするM7.2の地震が発生しました。
 この地震により奥州市内では震度6強を観測、1名が死亡し32名が重軽傷を負い、住家2戸が半壊、同204戸が一部破損の被害を受けました。岩手県全域では、人的被害39人、住家被害432戸、凡そ294億4160万円の被害を受けました。
 花林院周辺では、墓石が動いた箇所がありましたが、大きな被害はみられませんでした。

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 歳末助け合い托鉢 平成20年3月
 12月23日、小雨降る岩谷堂町内で、管内寺院宗侶十数名が参加して、第五教区恒例の歳末助け合い「托鉢」が行われました。
 「托鉢」とは「乞食」・「行乞」ともいわれ、鉢を持って町や村を歩き、食物・物品・金銭などの布施を受けることをいいます。
 「托鉢」には、「軒鉢」と「連鉢」があります。
 「一軒鉢」とは一軒ごとにその玄関前に立てて布施を乞う方法をいい、「連鉢」とは僧が連なって道を歩きながら布施を乞う方法です。
 今回の歳末助け合い「托鉢」は「連鉢」の方法で行われ、道行く多くの人々から歳末助け合い募金が寄せられました。
 今回の「托鉢」に寄せられた3万数千円の助け合い募金は、(社福)奥州市社会福祉協議会江刺支所に届けられました。

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 暖冬異変  花林院廿四世 梅岳 英彦

 紅梅枝上に春信を伝え、黄鳥(鶯)声中好音を送る季節が、日ごとに近づいてきた。
 昨年は、鶯の声が境内に聞えてきたのは三月二十二日頃、境内から残雪が悉く消えたのは四月四日頃、水仙の花が咲き乱れ、紅梅が枝上に春信を伝えたのは四月五日頃であった。
 今冬は、雪がちらつく日はあっても、積もることはあまりなく、積雪を観測できたのは十二月二十八日八cm、二月四日十四cm、同十四日二十四cmの三回だけであった。一月には真冬日が一日もなく、その故に「暖冬異変」といわれている今年、果たしてどんな年になるのか。
 「秋から春にジャンプしたみたい。」
 「昨年の今頃は、本堂の屋根から落ちてくる雪を除く作業に毎日追われていたのが、まるで夢みたい」
 「南国の冬は、こんな感じなんですかね。」
 寒ければ寒さが話題になり、暖かければ暖かさが話題になるお寺の炉端。今年は、雪の少なさが大きな話題になっている。近頃では、暖冬の影響による夏場の水不足、厳冬期の休眠期間が短かったことによる果樹等植生への影響が大いに懸念されている。
 話によれば、戦後間もなくの時代、今年と同じように一月に雪が積もらなかった年があったという。戦後間もなくの時代と言えば、小生が小学校低学年の頃のことである。しかし、どういうわけか小生には、雪のない冬の記憶が全くない。
 小生が記憶している小学校低学年頃の冬と言えば、「全面凍結した門前太田代川の天然リンクを、下駄スケートで終日滑っていた冬。集落から県道へ抜ける急勾配の坂道を手製のソリに乗って滑っていた冬。手製の竹スキーで急斜面の畑を滑降していた冬。荷を積んだ馬ソリの後ろに隠れて乗り込んで小学校に登校した冬。」なのである。  ところで、「暖冬異変」とよく言われるが、これは、そもそも「暖冬が異変」なのか、それとも「暖冬が異変を招く」ということなのか。妙に気になるところである。
 一月に雪が積もらない年があったと言われる戦後間もなくの時代、昭和二十一年十二月には南海道大地震があり、昭和二十二年七月には浅間山が大爆発、同年九月には当地をキャサリン台風が襲い、昭和二十三年六月には福井大地震があり、同年九月には当地にアイオン台風が来襲、昭和二十四年八月には関東地方をキティ台風が襲っている。
 暖冬は、異変を招くこともあるらしい。春彼岸、今年の暖冬が、異変の前兆につながらないことを、みなさんとご一緒に、ご本尊さまにお願いすることにしよう。
                                                 専祈寺檀和楽郷土安隠



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